動体を撮る
こんにちは。
ひとつ前の記事で荒れた内容を書いてしまいましたが、写真が嫌いなわけではないんです。ただ少し今の自分が撮る雑な写真が嫌なだけです。この話、実は写真だけじゃないんですけど。
思いどおりの写真が撮れなくてイライラしている、という話ではないんです。僕がメインで撮っているのは人と動物なので、思い通り撮れないことのほうが圧倒的に多い。だからそういった悩みではないんですけど、歯痒い思いをしています。なんとかしてぇ。
人と動物をメインで撮ってるのは、しっかり撮れた時に動かないものよりも感動の具合が大きい気がするからです。最近はほんとに全くダメなんですけど。最近とった中ではよく出来た方の写真を載せておきます。
もうかなり歳の我が家の大和くんです。年いってから表情に幅がなくなった気がするので、なかなかかわいげな写真を撮らせてくれないんです。それも楽しい。白い毛がぴょこぴょこしてるのがかわいい。
動物とか人を撮ってる時ってすごく心が落ち着くし、暖かくなるのでほんとにストレス発散になります。何も考えずに、気ままに一日ポートレイトや動物撮りしたら、この不調な感じも吹っ飛ぶのかなと思うんですが、どうなんでしょうね。あんま考えても仕方ないので、今日は少し写真から離れて楽しんできたいと思います。
僕が写真を撮る理由
こんにちは。文章書くのは好きな方なんですけど、原稿作りは疲れます。ちょっと一息という感じで書くので、変な日本語になってたらすみません。そして最後まで書いた上でここに付け加えますが、今回はすこし内容が良くないです。今、少し僕自身が荒れているのもあって、そんな内容になってます。
今日は少し考えることがあって、僕が写真をなんで撮るのかって話をしようかと思います。自分の考えを整理する目的で書くので、本来あんまりオープンにするべきではないのかもしれませんが。
僕がブログを書く理由は前にも書いたとおり、記憶、記録のため。写真を撮るのもそう。以前コメントくださった方の言葉を引用させてもらうと、「写真には、記録写真と記憶写真がある」って話ですね。
けど、僕が写真を撮る理由はそれだけではないです。
少しばかみたいな話ですけど、どうしても超えたい一枚があるんです。
かなり前に撮ったものなんですけどね。今Exif見て、そうかそんな前だったか、という感じになったくらいには前。もういくつ前の秋にどこかのお寺で撮ったものです。
機材も今のものではなくて、僕がカメラを始める時に買ったカメラと、キットレンズの便利ズーム。今見返したらヘッタクソだなぁって思ったし、画質も良くないし何が良いの?って言う人が多いと思う。
けど、その写真の赤と青の綺麗なこと。
僕の中の、奇跡の一枚ってやつなのかもしませんね。
ずっとそのイメージが頭から消えなくて写真を撮り続けているわけです。
ばかみたいな話でしょう。別にそれはそれでいいじゃん、ってなるかもしれないんですけど、良くないんですよ。どうしてもその写真を超える写真を撮らないと、僕が僕自身を許せないというか、その写真見るたびに、良い感情よりも、こう、マイナスな感情が出てくるんですよね。その写真超えたからって解決するの?って話になるんですけど、わからないです。超えたかどうかなんて僕の価値観ひとつということも曖昧な話。しかも最近は無理なんじゃないかって思いながら色んな物撮ってます。最悪の気分です。だから意味不明なショットが大量に出てくるんですね。
昨日投稿した写真も、あまりに雑な気持ちで撮りすぎて雑な写真が沢山できあがってしまったんですよね。
例えばこれ。MFで撮った気がするんですが、ピントは甘いし、どこをどう写したいのかよくわからない。こういうのを後で見ると本当に嫌気がさす。以前はこんなことなかった気がする。下手くそな写真はいっぱいだけど、何を撮りたいのか、どう撮りたいのか明確で、後から見た時もきちっとそれを思い出せる。こんな今の自分に嫌気が差す。
これらの写真も決して素材は悪くないはずなのに、自分がどう写したいか考えず撮ってる感じがほんとに残念。昨日は気軽に撮って回るのはいいって書いたし、その言葉に偽りはないんだけど、今の自分の写真はほんとにムカつく写真が多くて困る。今の自分自身そのものが写真から伝わるしムカついて仕方ない。
自分がやりたいことと出てくるものが違いすぎて自分にムカついている。
自分がやりたいようにやらないし、やれないことがムカついて仕方ない。
どうしたもんでしょうね。
雨雫
ライブ終わってから更新が途絶えてしまってました。
元気に今日もやっていますか?僕は元気です。
ライブは目立ったミスもなく楽しくやれました。
ベースって楽しいなぁと改めて気づけてよかったです。
さて、今週は本州の大部分が梅雨入りしたのもあってぐずついた天気でしたね。朝と夜は冷えるし服選びも大変。ジメジメして汗かくし梅雨は嫌い。そんな人多いと思います。僕もこの天候はすきじゃないです。ただ、僕の一番好きな花が咲くのがこの時期です。
あじさいですね。きれいです。
この日は会議が近いので資料作りと原稿作りに手を付け始めたんですけど、16時くらいに集中が切れかけてきてるな、という感じになってしまいました。そしてこの日は、ある撮影のためにカメラを持って出かけてたこと、それまで降っていた雨が一瞬上がったこと、そして集中が切れた、ということでカメラを持って気分転換に外へ歩きに行ったわけです。
雨上がりなのでこんな写真も。雫によって、より魅力的に、より生きてる感じが出て良いですね。この雫の乗ったあじさいが撮れるんじゃないかと期待して外に出たので満足。雨粒が乾いちゃうのは結構早いんですよね。
なんだかよくわからない花も咲いてました。
というか基本的にあまり花を知らないのでよくわからない花がほとんどなんですけどね。
今回散歩して一番綺麗だなと思ったのがこの花。例によって名前は知りませんが、形が面白い。五芒星を3層くらい重ねた幾何学的な形をしている。そしてほのかに青い。色調整して青さを伝えたかったんですが、僕がへたくそなせいで青さが上手く出なかったので、調整せずにアップロードしてます。けど写真より白くて、そして青いって感じで、とても不思議な花。不思議すぎて、一度目に止まってからしばらく吸い込まれるように見つめてしまいました。
花撮ってるとき、どうしても美しさをどうやったら最大限引き出せるかをメインに考えてしまうけど、気楽に短時間で撮って回るのも楽しかったです。
6月1日は写真の日
だったようです。一枚も撮ってなかった。
今日は6月2日。気にせず写真、重たいカメラはいいぞぅと訴える。昔撮った、下手でレタッチもしてない写真ばかりで恐縮ですが。
一眼レフは夜景に強い
僕はよく一眼レフであちこち撮りに行きます。大きくて重いし、旅行なんかじゃ絶対邪魔でしょ、と思われがちな一眼レフを買おうと思ったのは、友達の夜景写真に感動したから。僕がスマホで撮った同じ場所からの夜景写真とは、当たり前だけど比べ物にならないくらい綺麗な写真だった。
上の写真でいうと、室内は暗い、外は明るいと言った明暗差の大きな景色にスマホは弱いわけです。だから花火や夜景、イルミネーションやライトアップをスマホで撮るとき、大抵の人が苦労をするという話です。もちろん一眼で撮ってもある程度苦労します。けど圧倒的にスマホよりカンタンに綺麗に撮れる。
スマホでは撮れない絵がある
僕の周りは写真はiPhoneで十分という方が多い。夜景は綺麗に撮れなくてもいい。一般的にそういう人が多数だろうし、確かになぁと思います。僕もiPhone 6s使ってますが、6sは特に今までよりカメラの能力が上がってるらしい。前使っていた5sからすると、画質の向上は明らかで、細かいところまで映るようになったなと思います。けど僕はやっぱり一眼レフを使う。
iPhone 6s back camera 4.15mm ƒ/2.2 SS 1/24 iso 200
Nikon D810 50mm ƒ/2.2 SS 1/20 iso 3200
上の写真は、比較をしようと思って撮った二枚では無いので、被写体も角度も違って申し訳ないですが、情報見たらたまたま同じF値だったので載せてみました。こんなにボケ具合が違うのかーと少し驚いた。少し専門的な話になるけど、iPhoneの焦点距離は35mm換算で約29mmなので広角と言えるし、かたや今回一眼に付けてるレンズは50mm、いわゆる標準レンズ。
難しい話をとばすとiPhoneのほうがボケにくい。だけどここまで違うかという印象。
iPhoneでボケを作るにしても、加工アプリなんかではどうしても不自然になるので、これがiPhoneでは撮れない絵、というやつなのかなぁという気がします。
そしてiPhoneはいまいち色乗りが良くない。味気ない感じになりがち。だからみんなバリバリレタッチ(加工)するんだろうし、僕もすることがあります。一眼だとレンズと画像処理エンジンに依存する部分が大きいですが、大抵の今時のカメラとレンズの場合iPhoneより色乗りは良いはずです。つまり、特にレタッチしなくても満足行く写真が得られるのではないかと思う。ココらへんは好みなので人によります。上三枚は一眼で撮ったもので、レタッチしてませんが僕は気に入っています。下手だなぁとは思いますけどそれはそれ。好きは好き。
結局
ここまで色々書きましたが、最後は一眼レフだとかミラーレスだとかコンデジだとかiPhoneだとかどうでもよくて、記憶に残るかどうか、ってことが一番大事。すごく一般論で嫌なんだけど、事実だから仕方ない。
僕は今これを書いてて、例えば上の写真を見ながら
「このときはこんなこと考えながら撮ったなぁ」とか
「この日色々行ったなぁ」とか
「きれいな着物だった」とか
いろんなことがかなり鮮明に頭を駆け巡った。
当時の思考が画像に紐付けられてるわけで、冷静に考えるとすごい。
比較対象が雑で申し訳ないが、高校の時の古文のノート見ても当時の思考は蘇らないので、その点写真はすごい。
写真の綺麗さに応じてそれが変化するのかって話をされると困るけど、自分の写真じゃなくても、綺麗な写真は感動するし、それはそれで良い。さらに、自分の写真だと何度見ても、当時感じたことを今も感じられる。そして良くも悪くも、今という状況だからこそ感じること、考えることもある。うーんやっぱり写真は素敵。
指乗りふくろう - フクロウのみせ
前回の記事とは別のお店で、前回記事より先にふくろうとふれあってました。今回はがんばってかわいいに負けず、前回よりまともな日本語で書きたいと思います。
僕の指にのってるちびふくろう。かわいい。
こんな風にふくろうを手に乗っけることが出来るお店がここ。
前回の記事で紹介したお店とは違って、ふくろうとより近づけて楽しい。
こちらのお店は、店内が割と明るくて写真撮影もしやすい。そして店員さんもすごく明るくて気さくでノリノリ。ふくろうは夜行性ですがすべてを明るくします。店員さんがふくろうの説明をしてくれたりするんだけど、途中で「あぁ、かわいい…」みたいになってることがあって、とにかくカワイイは正義って感じ。正義の前では説明するのも大変。ブログを書くのも大変。
この記事の一枚目は指乗りふくろうで、これはこれでかわいいなあという感じですが、お店が空いているとこんなこともさせてくれる。
どうや!ふくろう4羽乗せ!羨ましいやろ!ふくろうにまみれてる!みんなもふもふでさらさらでかわいい!
この子はミミズクなんだけど耳がピンと立っててかわいい。鳴いてるところもかわいい。正義。全体的に前回の記事のお店よりもふくろうみんな活発な気がした。おやすみ中のふくろうグループは別エリアにいて、その子達はかなり眠そうだったけど。というか寝てたけど。
かわいい。なんとかわいい。下の写真はメンフクロウっていう品種らしい。仮面をつけてるみたいな見た目だからっていう理由らしいけど確かにそう見える。初めて見た時なんとなくオペラ座の怪人のイメージが出てきたのでなるほどーと思った。寝てる時もなかなかイケメンじゃないか。正義。
お値段的には実質50分で1000円なので前回記事のお店のほうが安い。けど肩や指に乗せて至近距離で触れ合えるのはかなり熱い。ていうかもはや値段あんま気にならないって思えてくる。そういうわけで僕はこのふくろうの店の方が好きかな。やっぱり一番近い距離で遊べるっていうのは大きい。また必ず近いうちに行きます。
というわけで二回続いたふくろう日記でした。次は何日記にしようかな。
ふくろうあああああああ
人生において幸せは必須です。みなさん幸せです。
また、人はもふもふすると幸せになります。
よって人生においてもふもふは必須といえます。
したがって、人はふくろううああああああああああああああああああああああ
一番下のはハリーポッターに出てくるふくろうのヘドウィグと同じ品種らしい。貫禄がある。けどかわいい。毛並みがさらさらしていて気持ちいいし、大きいので触り応えがあった。そしてかわいい。もちろんもふもふ。強い。脳に幸せブーストがかかる感じが体感できた。
しかしこのヘドウィグ、長い間いたけどずっと眠そうだった。ふくろうはもともと夜行性なんだけど、人と生活してたら人の生活リズムに合ってくれるらしい。けどこの子はお疲れだったのかな。
ちっちゃいふくろうももちろんかわいい。かわいいは正義だといいます。正義に悪は勝てません。そりゃ幸せになるでしょう。正義になるべく気軽な気持ちで行くと、よっしゃふくろう飼うかという気持ちになりますが、生肉が主食のふくろうは敷居が高い。お値段も高い。なるほど人はこうやって挫折を覚えるのかという感じです。さらに、ふくろうは糞のしつけができないらしい。なかなか正義への道は険しい。
こんな感じでふくろうと時間無制限に触り放題撮り放題楽しめるのがここです。
京都のフクロウの森
人生に幸せが足りない人は是非行って頭をパーにしましょう。定期的に行くとQoLの安定に繋がると思います。そしてこのような意味不明な文を書きます。するとどうでしょう、どんどん頭がパーになっていきます。ここまでくると最高に幸せになれるのでぜひ。